三国志考1-2魏蜀呉の配色②秦黒一色、漢は赤?
前回の記事で紹介したように、現在日本でスタンダードとされる三国(魏蜀呉)の陣営のイメージカラーに対し、どうも私は納得しかねています。
前記事において、
秦が、と言うより始皇帝が、五行思想えお取り入れ、自らの王朝を水徳としたところまでは紹介いたしました。大元の大元は、呂不韋が編纂させた『呂氏春秋』において五行の相克説が採用されたことです。
さて水徳は、方位は「北」、季節は「冬」、数字は「6」そして色は「黒」です。
皇帝旗や礼服は、黒を基調とされていました。
戦国時代に成立した五行思想は、秦帝国で採用されることで、以降もしばらく各王朝に該当する徳を割り当てられました。
周朝は火徳とされているわけですが、実際に赤を尊ぶ風潮だったかは、実際には定かではありません。
それは、あくまでも陰陽家鄒衍は、創始した五行思想のなかで、五徳説と呼ばれる考えを唱えたに過ぎないからです。
周王朝以前の王朝が五行思想を採用したという記録はありません。
もちろん五徳説を唱えている鄒衍以下は、各王朝や帝は当然に各徳に該当していると信じていたのでしょうが。
さて漢王朝。
高祖皇帝劉邦のよる建国当初から、武帝による改革までの間は、水徳を自認していました。(これを漢の五徳第1期と仮に呼びます。)
漢は、周を直接継いだというストーリーです。
秦の否定の一貫です。追って光武帝劉秀のこの五徳に関するムーヴと対照すると面白いです。お楽しみに。
それでは挙兵以来、劉邦軍の旗の色はなに色だったのか?
それは、
赤とされています。
蚩尤旗ですね。
続きます。